メンネルコール・シュトローム団員の軽いエッセイのページです

私と合唱

私がメンネルコール・シュトロームに入ったのは65歳の時だった。 入団してみて、若い頃から合唱をやっている団員が多いのに驚いた。 学生時代から、あるいはから長いこと続けておられる人が6〜7割にもなるのだろうか。
私自身は、合唱経験は皆無だった。正直なところ、経験豊富な皆さんに混じって、ちゃんと歌えるのかなという心配があった。 そんな人間がなぜ合唱を、それも男声合唱団に入ろうと思ったのか…。そんなことを綴ってみたい。

紅顔の美少年(笑)の私が社会人になったのは18歳の春。高校を卒業して某メーカーに入社した。昭和36年のこと。 当時は日本が高度成長で、成績の芳しくない生徒でも何とかどこかへもぐり込めた、そんな良い時代だった。

仕事にも少し慣れたころ、会社の帰りに「歌声喫茶」に寄るようになった。 当時歌声喫茶はブームで、名古屋にも歌声喫茶があった。
金曜や土曜の夕方などに、月に3〜4回行っただろうか。見知らぬ客同士が相席で、みんなで声を合わせて歌う店だった。 抒情歌、ロシア民謡や諸外国の歌、懐メロ、労働歌などなど……歌の上手いリーダーの音頭取りで、歌集を手にして歌った。
どうしてそういう店に通うようになったのか、自分でもよく分らない。いわゆる「歌謡曲」は好きではなかった。 学校が休みの日など、庄内川の堤防を自転車で走りながら「カチューシャ」や「草原情歌」などを歌った覚えがあるので、 そんな年頃から素地があったのかもしれない。

入社して2年目だったか、静岡の工場に研修に行く機会があった。
研修は金曜日に終わったのだが、これ幸い。名古屋へ帰らず、東海道線で東京に向かった。 行き先は新宿の有名な歌声喫茶。行きたくてしょうがなかったところだった。 確かともしびという店だったと思う。 探し探しして店に入ったものの、都会の不慣れな店で気の小さい田舎者のこと、ろくに歌いも出来なかった。 でも雰囲気に浸っただけで嬉しかったことを覚えている。
そうしてみると、若い頃から歌うことが、それも大勢で歌うこと、つまり合唱に憧れていたのかもしれない。

結婚して歌声喫茶には足が遠のいた。子供が生れ、仕事も忙しくなり、歌声喫茶どころではなくなった。 30歳過ぎてからは会社を辞めて独立したこともあり、稼がなければ食べていけない。仕事仕事で、人生が過ぎて行った。

遠い先だと思っていた老年が現実のものになってきた。自営業だった私は、徐々に仕事を減らし65歳を自分の定年とした。 毎日が日曜日だ。ヤッホーの気分だった。
パチンコや競輪競馬、ゴルフとも無縁の私は、いっとき田舎暮らしを夢見たりした。(それはマネごとながら長く続いた)。 自分自身の楽しみは勿論だが、世間につながり、少しでも恩返しのできるような趣味やボランティアも始めたりした。 趣味や道楽のことを書くコーナーではないので詳細は書かないが、やる事はいろいろあって退屈しなかった。

しかし、何かが足りないなあ、という思いが心の底にあることに気付いた。 それが歌だった。やっぱり歌うことが、それも大勢で歌う(合唱する)事が好きだった、ということに思い至ったのだ。 歌声喫茶は身近なところではもうなくなっていた。でも合唱団がある。 合唱団といえば混声合唱があるが、それよりも、何故か男声合唱に惹かれた。

どこの合唱団に入ろうかと探していたある日、新聞の地方版で、メンネルコール・シュトロームの団員募集の記事をみつけた。 喜び勇んで練習会場に見学に行き、即入団した。以来7年間。今日に至っている。 おかげさまで何とか合唱団のスミで歌わせていただいている。

ろくに声も出ない、楽譜もまともに読めないオヤジである。声は悪くても、皆がカバーしてくれる。合唱のありがたさだ。 何が魅力か。何よりもハーモニーがたまらない。団員の皆さんとの交流もある。指揮者の先生の熱意に励まされる。 カラオケでは味わえない、求めているものが合唱には、もっといえば男声合唱にはあるのだ。

いやあ、柄にもなく人生をふり返ってしまった。 この先何年歌えるか。仲間の皆さんと一緒に、ボケて歌えなくなるまでメンネルコール・シュトロームで歌いたいと願っている。